謹賀新年を共に 「健康」と「ヘルス」我々の業界の使命とは(2026.1.8)


 謹賀新年。弊紙は昨年で50周年。本年も引き続き、正確な情報と信頼に足る言説で健康産業をサポートしていきたい。年初にあたり、我々の業界を支える言葉の根本、柱について考えてみたい。
 「健康」とは何か。由来は中国の古典、易経にある「健体康心(けんたいこうしん)」とされる。

 健体とはしっかりした建物のごとく揺るがない身体のこと。康心とは安らかな心の状態。健やかで康らかに身体と心がバランスよく調和した状態が「健康」なのである。

 言葉で示すのは簡単だが、この状態を真に生み出し、キープするのは至難の業でもあろう。

 身体が快調であることは普通まれだ。何らかの不調を持ち、それが日によっても左右される。季節や天候によっても調子は変化する。年齢を重ねればどうしてもガタが来る。スポーツや睡眠、マッサージ等のメンテナンスでケアしても、毎日が「健体」ということは、生きている以上あり得ないであろう。

 心となれば、さらに複雑だ。自分のことはもとより、家庭、仕事、社会情勢に至るまで心に影を落とすことには事欠かない。スマホの普及で、起きている間はほとんど情報に曝されるという、人類史上初めてとも言える情報環境もこれに拍車をかけている。そもそも、人間は生来「不安」を感じ、抱えるようにインプットされているという説もある。不安が明日の糧を探すなどの具体的行動のきっかけとなるからだ。あることを不安に思うと、しばらくそのことが心から離れず、そればかりぐるぐると考え続けるというのは誰しも経験があろう。何も考えず、安らかな心の状態を導くのも難しい。むしろ、何かに一心に集中している時、スポーツなどでいう「ゾーンに入った」状態が「康心」に近いかもしれない。

 身体と心が高いレベルで調和する「健康」は実際には実現が難しいからなのか、語源となった中国では使われず、日本で広まっている言葉だという。初出は幕末。蘭学を通じて西洋医学が日本に導入され始めた時期に「Health」の日本語訳として「健康」が使われ、これが明治になって一般にも広がったとされる。源は古いが、使われたのは近代からなのだ。
 「Health」とは何か。世界保健機構(WHO)の定義では「病気ではない、弱っていないということではなく、肉体的、精神的、さらに社会的に満たされた状態にあること」とする。日本語の健康に「社会的な充足度」が加味されていることがポイント。社会で役割を持ち、それが本人にとっても満ち足りたことであるという視点だ。個ではなく、社会とのつながりを重視していることに、人間の本質的なあり方を感じさせる。社会や会社で役割があり、頼りにされているからこそ、身体も心も健康というのは腑に落ちることだろう。身体・心・社会の3つがそれぞれ循環して「Health」が導かれる訳だ。

 この定義に「Spiritual」(霊性)を加えようという動きもあった。これは心を超えた神や宗教など大いなるものを意識したと思われる。人間存在に想いを致せばこれも味わい深いものであろう。「Health」は全世界、地域や文化を超えた共通の定義でもあり、「健康」よりもスケールと抱合性が高いようにも思える。
 「健康」にせよ「Health」にせよ、一般的によく使われる言葉ではあるが、本来は理想的かつ崇高な概念である。

 日本は戦後に構築した国民皆保険制度により、人類の有史以来最高とも言える医療体制とインフラを持ちえた。しかも国の負担により、安価で提供されている。

 これがこの国の人々の「健康」「Health」に貢献していることは論を待たない。体調不良やケガで「119」に電話連絡すれば、救急車がすぐに駆け付け、病院に搬送してくれる。これは本当にありがたいことだ。

 しかし、「健康」も「Health」も極めて幅広い概念である。

 医療によりもたらされる直接的な治療やケアとは、別の視点での製品やサービスが必要。我々の業界はそれを提供するという大いなる使命を帯びているのだ。

 価値があり、多くの人を喜ばせ、明るくして希望を与えることができる。「Health」の定義で言えば、社会とのつながりにおいて、プライドと誇りをもって取り組める仕事だ。

 そして、それを自覚することが我々自身にも本来、実現が難しい「健康」をもたらすと言えるのだろう。

 「サプリメント」とは何か。折しも年末からこの論議が国で始まっている。答えは「健康」「Health」がカギになろう。読者諸氏の本年の「健康」を祈念します。

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